* * *「それ……セフレなんじゃないの」セフレ。まさか、私に限ってそんな破廉恥な関係はありえない。パニクっている私を呆れた顔で見ている真里奈。カフェの騒がしい音すら耳に入ってこない。七月から九月の間はレコーディングがあったようで、会いに来るのは夜中ばかりだった。そして、家に来るたびに「充電」と言って紫藤さんは、私を抱いたのだ。そのことを真里奈に相談すると、セフレだと言われてしまった。「都合のイイ女ね。残念ながら」「でも、悪い人じゃないっ。すごく優しいし」大切に思っている人のことを悪く言われるのがなんだかすごく腹が立つ。真里奈も私のことを思って言ってくれているのだろうけど、ついついムッとして言い返してしまう。「ふーん。じゃあ、付き合っているんじゃないの?」今まで大くんと過ごした日々のことを逡巡してみる。「好きって言われたこと、ない」「じゃあ、聞いてみたら?」「き、聞けるわけないでしょ」ズルズルと抱き合うだけの関係を続けてしまうのは、自分でも良くないと思っている。でも本当の気持ちを聞いてしまって悲しい結論だったら私はすでに耐えられなくなっている気がした。それなら現状維持でもいいとさえ思いはじめている。「今度会わせてよ」「う、うん。聞いてみるね……でも最近仕事がすごく忙しそうだからなかなか難しいかもしれないなぁ」「そうなんだ」会ってもらうのはいいけど、真実を知るのは怖い。紫藤さんに会ってとお願いしたら「お前はセフレだ」って言われるかもしれない。真里奈とカフェを出ると、秋らしい風が吹いていた。十月になり、だんだんと日が暮れるのも早くなった気がする。テレビをつけると、COLORを見る日が多くなっていた。十一月に新曲が発売されることで宣伝をしているみたいなのだけど、COLORのメンバー赤坂成人さんが俺様の役でドラマに出ていて人気が出てきたらしい。私は相変わらず、カラオケにいた女の人の話は聞けないまま過ごしている。大学生になって一人暮らしをして、バイトをして、紫藤さんにバージンをあげて、半年前まではまるで子供だったのに、大人になった気がした。COLORのホームページを見ていると、紫藤さんの誕生日が書かれていた。十月二十日、あと十日だ。好きな人に何かしたいと思うのは乙女心だ。私と六日しか変わらないのだと知
バイトを終えて家に戻ると、母から着信が入った。「もしもし」『バイト終わった?』「うん」『誕生日おめでとう。もう十九歳かぁ』「ありがとう」『美羽が生まれた日は秋晴れでね。雲が美しい羽に見えたから美羽にしたのよ』誕生日祝いの電話がかかってきた。毎年聞かされる話なんだけど、なんだか心が温かくなるのだ。「お母さん、産んでくれてありがとう」『あら、嬉しいことを言ってくれるのね。いっぱい勉強して立派になるのよ』「うん、じゃあまた連絡するね」電話を切ってのんびりしていると、部屋のインターホンが鳴った。きっと紫藤さんだ。嬉しい反面私は友達に言われた言葉を思い出しどうするべきなのか悩んだ。今日は求められても拒否をしてみようかな。交際しているわけではないし、断ったらどんな反応をするのだろうか。そんなことを考えながら覗き穴を確認するとそこにはやはり紫藤さんが立っていた。「ただいま、美羽」玄関に入るなりギュッと抱きしめられると抵抗できなくなってしまう。それほど、私は紫藤さんに惚れている。悔しい……。「美羽、会いたかった」自然とキスをされてそのまま布団へと連れて行かれる。寝かされて首筋を舐めてくる。ペロペロと子犬が甘えるように、ピッタリとくっつかれた。至近距離で目が合うとドキッと心臓が動く。今日もすごくかっこよくて目のやり場に困ってしまった。好きな人とセフレ関係だなんて、なんだか切ない。紫藤さんの手は私の太ももに移動しだすと同時に抵抗するためガバっと起き上がった。「今日はそういうこと、やめませんか?」「……」紫藤さんはじっと私を見つめた。なんだか申し訳なくて目をそらした。立ち上がって意味もなく台所へと行ってやかんの水を沸かす。せっかくプレゼントを渡そうと思ったのに完全にタイミングを見失ってしまった。「どうして?」「どうしてって……」紫藤さんは、こういう関係を悪いと思っていないのだろうか。芸能人の間ではあたり前のことなの?「俺としたくないの? 会えない間、ずっとしたかったのに」「会えない間って、先週もしたじゃないですか」「……そうだけど。できれば、毎日でも抱きたいんだけど」言葉を失う。「体を求めるだけの関係は嫌」……なんて言えない。「私は……、私の友達にも会ってほしいです。二人きりでいつもこんなことして……」「友達に
「売れるのは嬉しいけど、自由が無くなっちゃうな。美羽ともっといろいろな所に行きたかったんだけどな。連れ回したら、美羽にも迷惑をかけてしまうだろうから」「迷惑……?」「パパラッチってすげぇらしいぞ」「そうなんですね」芸能人ってプライバシーが無さそうだ。人気があっても制限が多くて大変な職業なのだろう。「ちょっと待って。俺を拒否しようとしたっていうことはもしかして美羽。男、できた?」「いませんよ、そんなの。万が一いたら、紫藤さんとこんなことしませんしお部屋にも入れません」きっぱりと言うと安心したように柔らかく笑った。「じゃあ、あのいかにも男へあげそうな、包装されたのは、なに?」隠しておいたつもりなのに、見えてしまったらしい。布団から立ち上がり取りに行き紫藤さんへ差し出した。「ちょっと早いですけど……。あの、安物なんですけど……。お誕生日おめでとうございます」「俺に?」予想外だったのか驚いた顔をする紫藤さんは、ちょっとはにかみながら受け取ってくれる。「ホームページを見ていたら誕生日があったので」恥ずかしいけど打ち明けるとニコニコと笑っている。「会えない間も俺のことが気になってたってこと?」図星だけど私は首をかしげて適当にごまかした。「見ていい?」「どうぞ」丁寧に包装紙から取り出すと、じっと見つめて喜んでいる。黒い革にシルバーの星がぶら下がっているシンプルなストラップだ。「綺麗だ。美羽、ありがとう。すっごく嬉しい」早速、携帯につけてくれる。キラキラと光る星には、紫藤さんが大スターになりますようにって願いを込めて送ったのだ。喜んでくれたみたいで安心し、ほんわかした気分でいると、紫藤さんの瞳の色が色濃くなった気がした。「こんなことされたら、ますます抱きたくなるんだけど」あぁ私、紫藤さんの恋人になりたいんだ。彼のことが大好きになりすぎて特別になりたいんだ。彼女にしてくださいって、素直に言えたらいいのに。でも……言えない。「美羽、キスしよう」「……」今日も、やっぱり流されてしまう。だって、紫藤さんがあまりにも魅力的なんだもの。紫藤さんの手で体中に触れられると、そこから火がついたように熱くなって火照る。いつも、微熱があるみたいな状態になるのだ。あっという間に一糸まとわない姿にされてしまって、いつも以上にキスマークを
*数日後、真里奈とコーくんカップルが家に遊びに来た。鍋パーティーをするという名目で紫藤さんに会ってもらうためだ。ほぼ準備を済ませて、紫藤さんを待っている状態だった。「そう言えば、仕事って何してんの? 大学生じゃないの?」真里奈が聞いてくる。そういえば、詳しくは言っていなかった。「大学生なんだけど、歌手なの……」「マジ? 歌手ってなにそれ!」コーくんも驚いている。話したことがなかったので突拍子もないことを言っているのではないかと思われるのが心配だった。いつまでも隠しておくわけにはいかないので、素直に打ち明けることにした。「COLORっていう歌って踊れるグループがいるんだけど知ってる?」「うん、わかるよ! え? まさかその中のメンバーとか言わないよね?」「そのまさかなんだ」「嘘でしょ? ちなみに誰なの?」名前を言うだけなのに私は緊張して心臓がドキドキしていた。「紫藤大樹さん」「またまたー。美羽ったら冗談が上手になったのね」コーくんも、ソファーに座りながらクスクス笑っている。誰も信じてくれなくなるほど、COLORは知名度をあげていた。おそらく十代や二十代の人でわからない人はいないくらいになっていたのだ。そんなに有名になっているのに私の友達だからと言って会うのを快諾してくれたのだ。チャイムが鳴った。ドアを開けると紫藤さんだった。背中に感じる真里奈とコーくんの驚いた視線は見なくてもわかる。「ただいま、美羽」当たり前のようにいつも通り抱きしめてきた。「ちょ、友達来ているんですけど」「……え」中へ入っていくと、真里奈が「そっくり」とつぶやいた。紫藤さんは笑顔を作る。「いつも美羽と仲良くしてくれてありがとうございます。紫藤大樹です」丁寧にお辞儀をして挨拶をした。「え、本物?」コーくんが言う。「はい。そうですよ」ハッキリとした口調で言う紫藤さん。「知っていてくださって嬉しいです。ペーペーなんで」笑っている。アイドルスマイルだ。「驚きました。私、美羽と仲良くさせてもらっています真里奈です」「彼氏の幸一郎です」自己紹介を終えるとテーブルに電気鍋を置いて、煮込んでグツグツするのを待ちながら、紫藤さんへの質問タイムが開始された。紫藤さんは、嫌な顔ひとつしないで答えていく。「芸能界でお仕事されているというこ
紫藤さんは、いつも通り優しくて、鍋を取り分けてくれる。私の分だけじゃなくて友達のも全部やってくれた。「美羽、肉団子好きだもんな。あーん」 恥ずかしいけれど口を開けると食べさせてくれた。それからは他愛のない会話をしながらただただ鍋パーティーを楽しむだけ。私もだんだんとリラックスしてきてダブルデートでもしているみたいだと気楽な気持ちでいた。「あの今日私たちがここに来た目的を果たさなければならないと思うのでちょっと真剣な話をしてもいいですか?」「どうぞ」紫藤さんは何を言われても大丈夫だよというように微笑んだ。「紫藤さんは美羽のこと、好きじゃないんですか?」あまりにもストレートに質問する真里奈に慌てふためく私。「真里奈! 変なこと聞かないで。いいの、いいんだってば!」本当の気持ちを知って会えなくなるなんてそんなの嫌だ。絶対に紫藤さんは私のことを好きじゃない。シーンと静まり返る部屋で、紫藤さんはクスって笑った。「真里奈さん、俺は美羽のこと好きですよ」ハッキリとした口調で言った。驚いて紫藤さんを見る。「好きって、どういう意味で? 紫藤さんならモテモテでしょう? 美羽の体目的なら可哀想なんで遊ばないでください。この子、ピュアなんです」「真里奈……」ちょっときつい口調で問いただすように言う真里奈。だけど、紫藤さんはまったく動じない。「女として好きだし、遊んでつもりはないです。美羽は、俺に遊ばれていると思ってたの?」視線を私に向けられて困ってしまい、素直にうなずいた。すると、コーくんが紫藤さんをかばうように笑う。「あーなるほど。男は口下手だからねー。付き合ってると思ってたパターンか」「はい。付き合ってると思ってました」紫藤さんは、苦笑いをした。うそ、つ、付き合ってんの?その場の流れで言ってるとか?信じられなくて頭が真っ白になる。「不安にさせてごめんね、美羽」優しい眼差しを向けられると、ドキドキしすぎて耳が熱くなってきた。「芸能人でモテモテなのに、なんで美羽なんですか?」真里奈は聞きたいことをイチイチ代弁してくれる。それは私も思った。全然美人じゃないし面白い話もできないし、その上料理も下手だしいいところなんて一つもない。「芸能人と言っても、俺は一流じゃないです。たとえ一流だったとしても、俺は美羽しか愛せません。いろいろ話し
真里奈とコーくんが帰って紫藤さんと二人きりになると、壁際まで追い詰められる。先ほどまで穏やかな人格だったのに今ではちょっぴりSキャラになっているのは気のせいだろうか?「付き合ってないと思ってたんだ?」「だって好きだとか言われたことないですし」「……おしおき」額にチュッとキスをされると恥ずかしさと嬉しさで顔が熱くなってくる。「ハッキリと言葉で言わなきゃわかんないか……。美羽、愛してるよ。俺の彼女になって」まるで夢を見ているのではないかと思った。はじめて好きになった人に彼女になってほしいと言われたのだ。「答えは?」「は、はい……! よろしくお願いします」頭を深々と下げた。時計は深夜零時を過ぎたところで、十一月三日になっていた。「今日を付き合いはじめた日にしよう。俺らの記念日」ウエストに手を回しギュッと抱きしめられる。抱きしめたまま頭から声が降ってくる。「付き合いはじめた日にこんなこと言うなんて変かもしれないけど……。今月、十四日にシングルが出たら、きっと売れると思うんだ。赤坂のおかげで。そうしたら思うように会えなくて辛い日もあるかもしれないけど、美羽が大学を卒業したら結婚しよう。それまでひたすら頑張って、地位を確立して、お前を幸せにするから」結婚しようだなんて、そこまで真剣に思ってくれているんだと知って涙が溢れてくる。「紫藤さん」「あー、駄目だ。名前で呼んで」「え?」「俺と美羽は恋人なんだぞ?」名前で呼ぶなんてハードルが高すぎる。困っていると、嬉しそうに私を見つめていた。私が困った顔をするのが楽しいみたい。「じゃあ、大くんでもいいですか?」「いいよ。美羽」「大くん……んっ」紫藤さん、改め大くんは、それはそれは甘いキスをくれた。やっと解放されると、今度はラッピングされたモノを差し出される。私は首をかしげるた。「遅れたけど、誕生日プレゼント」「あ、ありがとうございます」もらえるなんて思っていなかったから、驚く。「開けてみ?」「はい」丁寧に包装紙を外した。細長い箱はアクセサリーが入っていると予想がつく。ドキドキしながら開いてみると、ブレスレットだった。キラキラっと光っていて可愛い。好きな人からこんな風にプレゼントしてもらえるなんて、運を使い果たしたかも。ソファーに並んで座ると、手首をつかまれた。そしてブ
「はじめて抱いた日からだよ。そりゃあ俺も不安だった。だけど、誕生日プレゼントをくれて、やっぱり付き合ってるんだって思ったんだ。美羽もそのつもりだと思っていたんだけど」「う」「美羽はお子ちゃまだから、言葉で言わなきゃ伝わらないか」「ヒドイ」頬を膨らませると「フグみてぇ」と優しい口調で言って、チュってされるから、怒る気がなくなる。カラオケにいた女の人の話って聞いてもいいのかな。束縛女だと思われちゃうかな。恋人になったばかりなのに嫉妬深いとか思われたら嫌だし。頭の中でぐるぐると考えて言葉にできないでいた。「なーに、不安そうな顔してんの?」「カラオケにいた女性って……」「もしかしてやきもち焼いてくれてるの?」意地悪な顔をして見つめてくるから、悔しい気持ちになる。「嬉しいけどね。やっと聞いてくれたって感じ」「……べ、べつに、妬いてない」私が気持ちを隠すように言うと、喉でククって笑った大くんは頭をなでてくれる。「宇多寧々。モデルを最近やりはじめたんだけど、知ってる?」首を横に振る。「大物プロデューサーの娘でさ。COLORを気に入ってくれたみたいなんだ。で、カラオケに行ったのは接待みたいなもんさ。すげぇお嬢様だから機嫌とらなきゃいけないの。ま、そのおかげで仕事もらえたりしてんだけどね」仕事なら仕方がないか。信じるしかないもんね。芸能界のことはよくわからないけれどそういう付き合いもあるのかもしれない。「俺が愛してるのは美羽だけ。知ってるだろうけど、俺はそんなに簡単に人を好きにならないから」「信じます」「俺も、美羽を信じるから」こうやって疑ったり、信じたりの繰り返しで愛は深くなるのかもしれない。だけど、恋愛は果実のように甘いだけじゃない。付き合いはじめたタイミングが悪かったのだろうか。CDが発売されてから、大くんはめちゃくちゃ忙しくなってしまったのだ。ヒットチャートであっという間に一位を取ってしまった。音楽番組に引っ張りだこだし、バラエティにもゲストで参加するようになっていた。きっとものすごく忙しいのだ。毎日必ずメールや電話は押してくれたけれど、隙間時間でかけているのか少し声を聞いたらすぐに電話は切られてしまう。会いたいと言ったらわがままになる。だから、ひたすら我慢した。寂しさを埋めるようにバイトに励む日々。小桃さんのカラオ
*それから時が流れ――。年末年始のテレビが普通の番組編成に戻り、バレンタインデーが過ぎて、ホワイトデーも過ぎた。イベントがある時は、どんなに遅くなっても会いに来てくれて、体を重ね合わせて愛を確かめ合ったけど。会いたい時に会えないのは、やっぱり寂しい。いつから私はわがまま娘になってしまったのだろう。大学二年になり新たな決意をして頑張ろうと気合いを入れた時、テレビCMで大くんと綺麗なモデルさんが、恋人みたいな雰囲気で旅館に泊まっている設定のものが放映されていた。仕事上のことなのだけど、気になってしまう。しかも、雑誌にプライベートでも仲がいいとか書かれていた。「なんかさ、COLORをテレビで見ない日ないんだけど」真里奈とカフェで語り合う。そこのカフェには無料で読める雑誌や本が置かれていた。真里奈は雑誌を取ってきてテーブルに置いた。表紙にはCOLORがキラキラの笑顔を浮かべて写っている。「そんな泣きそうな顔しないの」「不安なの。芸能界って美しい人が多いでしょう? 私なんていつ捨てられるかわからないもん」「紫藤さんは、そんな人じゃないと思うけどなー」真里奈は私と大くんの恋愛を応援してくれているみたい。頑張らなきゃ。「ちゃんと、思いは伝えたほうがいいよ」「うん……。とても忙しいみたいだからあまり無理なことは言いたくないし、負担をかけたくない。そもそも恋愛禁止って言われているのに恋人にしてくれているんだから感謝しなきゃ」「それはわかるけど……。悲しむような辛い恋愛はしてほしくない」「ありがとう」友達の気持ちも伝わってきて私は幸せ者だと思った。五月の大型連休が終わり世間は日常生活に戻りつつある。私も大学とアルバイトの両立で忙しい日々を送っていたが、今日は何も予定がなかったので一人で家でテレビをボーっと見ていた。大くんが画面に映し出されて釘づけになった。可愛いタレントと、恋愛論を語っている。「かっこいいな……。あんなすごい人が自分の彼氏だなんて信じられない」寂しいし、会いたい。こんなにも自分が欲深い人間だなんて思わなかった。しかも自分の存在がちっぽけに感じてたまらなく悲しい気持ちになる。やっぱり釣り合わないのではないか。もっともっと好きになる前にこのまま会わないで、終わったほうがお互いにいいのかもしれない。そんなマイナス
「俺たちはさ、自分のやりたい道を見つけて、それぞれ進んでいけるかもしれないけど、今まで応援してくれた人たちはどんな気持ちになると思う?」どうしてもそこだけは避けてはいけない道のような気がして、俺は素直に自分の言葉を口にした。光の差してきた事務所にまた重い空気が流れていく。でも大事なことなので言わなければならない。苦しいけれど、ここは乗り越えて行かなければいけない壁なのだ。.「悲しむに決まってるよ。いつも俺たちの衣装を真似して作ってきてくれるファンとか、丁寧にレポートを書いて送ってくれる人とか。そういう人たちに支えられてきたんだよね」黒柳が切なそうな声で言った。でもその声の中には感謝の気持ちも感じられる。デビューしてから今日までの楽しかったことや嬉しかったこと辛かったことや苦しかったことを思い出す。毎日必死で生きてきたのであっという間に時が流れたような気がした。「感謝の気持を込めて……盛大に解散ライブをやるしかないんじゃないか?」赤坂が告げると、そこにいる全員が同じ気持ちになったようだった。部屋の空気が引き締まったように思える。「本当は全国各地回って挨拶をさせてあげたいんだけど、今あなたたちはなるべく早く解散を望んでいるわよね。それなら大きな会場でやるしかない。会場に来れない人たちのためには配信もしてあげるべきね」「そうだね」社長が言うと黒柳は返事してぼんやりと宙に視線を送る。いろんなことを想像している時、彼はこういう表情を浮かべるのだ。「今までの集大成を見せようぜ」「おう」赤坂が言い俺が返事をした。黒柳もうなずいている。「じゃあ……十二月三十一日を持って解散する方向で進んでいきましょう。まずはファンクラブに向けて今月中にメッセージをして、会場を抑えてライブの予告もする。その後にメディアにお知らせをする。おそらくオファーがたくさん来ると思うからなるべくスケジュールを合わせて、今までの感謝の気持ちで出演してきましょう」社長がテキパキと口にするが、きっと彼女の心の中にもいろんな感情が渦巻いているに違いない。育ての親としてたちを見送るような気持ちだろう。それから俺たちは解散ライブに向けてどんなことをするべきか、前向きに話し合いが行われた。
「じゃあ、まず成人」 赤坂は、名前を呼ばれると一瞬考え込んだような表情をしたが、すぐに口を開いた。 「……俺は、作詞作曲……やりたい」 「そう。いいわね。元COLORプロデュースのアイドルなんて作ったら世の中の人が喜んでくれるかもしれないわ」 社長は優しい顔をして聞いていた。 「リュウジは?」 社長に言われてぼんやりと天井を見上げた。しばらく逡巡してからのんびりとした口調で言う。 「まだ具体的にイメージできてないけど、テレビで話をするとか好きだからそういう仕そういう仕事ができたら」 「いいじゃないかしら」 最後に全員の視線がこちらを向いた。 「大は?」 みんなの話を聞いて俺にできることは何なんだろうと考えていた。音楽も好きだけど興味があることといえば演技の世界だ。 「俳優……かな」 「今のあなたにピッタリね。新しい仕事も決まったと聞いたわよ」 「どんな仕事?」 赤坂が興味ある気に質問してきた。 「映画監督兼俳優の仕事。しかも、新人の俳優を起用するようで、面接もやってほしいと言われたみたいなのよ」 社長が質問に答えると、赤坂は感心したように頷く。 「たしかに、いいと思うな。ぴったりな仕事だ」 「あなたたちも将来が見えてきたわね。私としては事務所に引き続き残ってもらって一緒に仕事をしたいと思っているわ」 これからの自分たちのことを社長は真剣に考えてくれていると伝わってきた。 ずっと過去から彼女は俺らのことを思ってくれている。 芸能生活を長く続けてやっと感謝することができたのだ。 今こうして仕事を続けていなかったら俺は愛する人を守れなかったかもしれない。でも美羽には過去に嫌な思いをさせてしまった。紆余曲折あったけれどこれからの未来は幸せいっぱいに過ごしていきたいと決意している。 でも俺たちが解散してしまったらファンはどんな思いをするのだろう。そこの部分が引っかかって前向きに決断できないのだ。
それは覚悟していたことだけど、実際に言葉にされると本当にいいのかと迷ってしまう。たとえ俺たちが全員結婚してしまったとしても、音楽やパフォーマンスを楽しみにしてくれているファンもいるのではないか。解散してしまうと『これからも永遠に応援する』と言ってくれていた人たちのことを裏切るのではないかと胸の中にモヤモヤしたものが溜まってきた。「……そうかもしれないな。いずれ十分なパフォーマンスもできなくなってくるだろうし、それなら花があるうちに解散というのも一つの道かもしれない」赤坂が冷静な口調で言った。俺の意見を聞きたそうに全員の視線が注がれる。「俺たちが結婚してもパフォーマンスを楽しみにしてくれている人がいるんじゃないかって……裏切るような気持ちになった。でも今赤坂の話を聞いて、十分なパフォーマンスがいずれはできなくなるとも思って……」会議室がまた静まり返った。こんなにも重たい空気になってしまうなんて、辛い。まるでお葬式みたいだ。 解散の話になると無言が流れるだろうとは覚悟していたが、予想以上に嫌な空気だった。芸能人は夢を与える仕事だ。 十分なパフォーマンスができているうちに解散したほうが 記憶にいい状態のまま残っているかもしれない。 「解散してもみんなにはうちの事務所に行ってほしいって思うのは私の思いよ。できれば、これからも一緒に仕事をしていきたい。これからの時代を作る後輩たちも入ってくると思うけど育成を一緒に手伝ってほしいとも思ってるわ」社長の思いに胸が打たれた。「解散するとして、あなたたちは何をしたいのか? ビジョンは見える?」質問されて全員頭をひねらせていた。
そして、その夜。仕事が終わって夜になり、COLORは事務所に集められた。大澤社長と各マネージャーも参加している。「今日みんなに集まってもらったのは、これからのあなたたちの未来について話し合おうかと思って」社長が口を開くと部屋の空気が重たくなっていった。「大樹が結婚して事務所にはいろんな意見の連絡が来たわ。もちろん祝福してくれる人もたくさんいたけれど、一部のファンは大きな怒りを抱えている。アイドルというのはそういう仕事なの」黒柳は壁側に座ってぼんやりと窓を見ている。一応は話を聞いていなさそうにも見えるが彼はこういう性格なのだ。赤坂はいつになく余裕のない表情をしていた。「成人もリュウジも好きな人ができて結婚したいって私に伝えてきたの。だからねそろそろあなたたちの将来を真剣に話し合わなければならないと思って今日は集まってもらったわ」マネージャーたちは、黙って聞いている。俺が結婚も認めてもらったということは、いつかはグループの将来を真剣に考えなければならない時が来るとは覚悟していた。時の流れは早いもので、気がつけば今日のような日がやってきていたのだ。 「今までは結婚を反対して禁止していたけれど、もうそうもいかないわよね。あなたたちは十分大人になった」事務所として大澤社長は理解があるほうだと思う。過去に俺の交際を大反対したのはまだまだ子供だったからだろう。どの道を進んでいけばいいのか。考えるけれど考えがまとまらなかった。しばらく俺たちは無言のままその場にいた。時計の針の音だけが静かに部屋の中に響いていた。「俺は解散するしかないと思ってる……」黒柳がぽつりと言った。
今日は、COLORとしての仕事ではなく、それぞれの現場で仕事をする日だ。 その車の中で池村マネージャーが俺に話しかけてきた。「実は映画監督をしてみないかって依頼があるのですが、どうですか? 興味はありますか?」今までに引き受けたことのない新しい仕事だった。「え? 俺にそんなオファーが来てるの?」驚いて 思わず 変な声が出てしまう。演技は数年前から少しずつ始めてい、てミュージカルに参加させてもらったことをきっかけに演技の仕事も楽しいと思うようになっていたのだ。まさか 映画監督のオファーをもらえるとは想像もしていなかった。「はい。プロモーションビデオの表情がすごくよかったと高く評価してくれたようですよ。ミュージカルも見てこの人には才能があると思ったと言ってくれました。ぜひ、お願いしたいとのことなんです。監督もしながら俳優もやるっていう感じで、かなり大変だと思うんですが……。内容は学園もので青春ミステリーみたいな感じなんですって。新人俳優のオーディションもやるそうで、そこにも審査員として参加してほしいと言われていますよ」タブレットで資料を見せられた。企画書に目を通すと難しそうだけど新たなのチャレンジをしてみたりと心が動かされたのだ。「やってみたい」「では早速仕事を受けておきます」池村マネージャーは早速メールで返事を書いているようだ。新しいことにチャレンジできるということはとてもありがたい。芸能関係の仕事をしていて次から次とやることを与えてもらえるのは当たり前じゃない。心から感謝したいと思った。
大樹side愛する人との平凡な毎日は、あまりにも最高すぎて、夢ではないかと思ってしまう。先日は、美羽との結婚パーティーをやっと開くことができた。美羽のウエディングドレス姿を見た時、本物の天使かと思った。美しくて柔らかい雰囲気で世界一美しい自分の妻だった。同時にこれからも彼女のことを命をかけて守っていかなければならないと感じている。紆余曲折あった俺たちだが、こうして幸せな日々を過ごせるのは心から感謝しなければならない。当たり前じゃないのだから。お腹にいる子供も順調に育っている。六月には生まれてくる予定だ。昨晩は性別もわかり、いよいよ父親になるのだなと覚悟が決まってきた気がする。女の子だった。はなの妹がこの世の中に誕生してくるのだ。子供の誕生は嬉しいが、どうしても生まれてくることができなかったはなへは、申し訳ない気持ちになる。母子共に健康で無事に生まれてくるように『はな』に手を合わせて祈った。手を合わせて振り返ると隣で一緒に手を合わせていた美羽と目が合う。「今日も忙しいの?」「うん。ちょっと遅くなってしまうかもしれないから無理しないで眠っていていいから」美羽は少し寂しそうな表情を浮かべた。「大くんに会いたいから起きていたいけど、お腹の子供に無理をかけたくないから、もしかしたら寝ているかもしれない」「あぁ。大事にして」俺は美羽のお腹を優しく撫でた。「じゃあ行ってくるから」「行ってらっしゃい」玄関先で甘いキスをした。結婚して妊娠しているというのにキスをするたびに彼女はいまだに恥ずかしそうな表情を浮かべるのだ。いつまでピュアなままなのだろうか。そんな美羽を愛おしく思って仕事に行きたくなくなってしまうが、彼女と子供のためにも一生懸命働いてこよう。「今度こそ行ってくるね」「気をつけて」外に出てマンションに行くと、迎えの車が来ていた。
少し眠くなってきたところで、玄関のドアが開く音が聞こえた。立ち上がって迎えに行こうとするがお腹が大きくなってきているので、動きがゆっくりだ。よいしょ、よいしょと歩いていると、ドアが開く。大くんがドアの前で待機していた私は見てすごくうれしそうにピカピカの笑顔を向けてきた。 そして近づいてきて私のことを抱きしめた。「美羽、ただいま。先に寝ていてもよかったんだよ」「ううん。大くんに会いたかったの」素直に気持ちを伝えると頭を撫でてくれた。私のことを優しく抱きしめてくれる。そして、お供えコーナーで手を合わせてから、私は台所に行った。「夕食、食べる?」「あまり食欲ないんだ。作ってくれたのなら朝に食べようかな」やはり夜遅くなると体重に気をつけているようであまり食べない。この時間にケーキを出すのはどうかと思ったけれど、早く伝えたくて出すことにした。「あ、あのね……これ」冷蔵庫からケーキを出す。「ケーキ作ったの?」「うん……。赤ちゃんの性別がわかったから……」こんな夜中にやることじゃないかもしれないけど、これから生まれてくる子供のための思い出を作りたくてついつい作ってしまったのだ。迷惑だと思われてないか心配だったけど、大くんの顔を見るとにっこりと笑ってくれている。「そっか。ありがとう」嫌な表情を全くしないので安心した。ケーキをテーブルに置くと私は説明を始める。ケーキの上にパイナップルとイチゴを盛り付けてあった。「この中にフルーツが入ってるの。ケーキを切って中がパイナップルだったら男の子。イチゴだったら女の子。切ってみて」ナイフを手渡す。「わかった。ドキドキするね」そう言って彼はおそるおそる入刀する。すると中から出てきたのは……「イチゴだ!」「うん!」お腹の中にいる赤ちゃんの性別は女の子だったのだ。「楽しみだね。きっと可愛い子供が生まれてくるんだろうな」真夜中だというのに今日は特別だと言ってケーキを食べる。私と彼はこれから生まれてくる赤ちゃんの話でかなり盛り上がった。その後、ソファーに並んで座り、大きくなってきたお腹を撫でてくれる。「大きくなってきた」「うん!」「元気に生まれてくるんだぞ」優しい声でお腹に話しかけていた。その横顔を見るだけで私は幸せな気持ちになる。はなを妊娠した時、こんな幸福な時間がやってくると
美羽side結婚パーティーを無事に終えることができ、私は心から安心していた。 私と大くんが夫婦になったということをたくさんの人が祝ってくれたのが、嬉しくて ありがたくてたまらなかった。 しかし私が大くんと結婚したことで、傷ついてしまったファンがいるのも事実だ。 アイドルとしては、芸能生活を続けていくのはかなり厳しいだろう。 覚悟はしていたのに本当に私がそばにいていいのかと悩んでしまう時もある。 そんな時は大きくなってきたお腹を撫でて、私と大くんが選んだ道は間違っていないと思うようにしていた。自分で自分を肯定しなければ気持ちがおかしくなってしまいそうになる。 あまり落ち込まないようにしよう。 大くんは、仕事が立て込んでいて帰ってくるのが遅いみたい。 食事は、軽めのものを用意しておいた。 入浴も終えてソファーで休んでいたが時計は二十三時。 いつも帰りが遅いので平気。 私と大くんは再会するまでの間、会えていない期間があった。 これに比べると今は必ず帰ってくるので、幸せな状況だと感で胸がいっぱいだ。 今日は産婦人科に行ってきて赤ちゃんの性別がはっきりわかったので、伝えようと思っている。手作りのケーキを作ってフルーツの中身で伝えるというささやかなイベントをしようと思った。でも仕事で疲れているところにそんなことをしたら迷惑かな。 でも大事なことなので特別な時間にしたい。
「そんな簡単な問題じゃないと思う。もっと冷静になって考えなさい」強い口調で言われたので思わず大澤社長を睨んでしまう。すると大澤社長は呆れたように大きなため息をついた。「あなたの気の強さはわかるけど、落ち着いて考えないといけないのよ。大人なんだからね」「ああ、わかってる」「芸能人だから考えがずれているって思われたら、困るでしょう」本当に困った子というような感じでアルコールを流し込んでいる。社長にとっては俺たちはずっと子供のような存在なのかもしれない。大事に思ってくれているからこそ厳しい言葉をかけてくれているのだろう。「……メンバーで話し合いをしたいと思う。その上でどうするか決めていきたい」大澤社長は俺の真剣な言葉を聞いてじっと瞳を見つめてくる。「わかったわ。メンバーで話し合いをするまでに自分がこれからどうしていきたいか、自分に何ができるのかを考えてきなさい」「……ありがとうございます」俺はペコッと頭を下げた。「解散するにしても、ファンの皆さんが納得する形にしなければいけないのよ。ファンのおかげであなたたちはご飯を食べてこられたのだから。感謝を忘れてはいけないの」大澤社長の言葉が身にしみていた。彼女の言う通りだ。ファンがいたからこそ俺たちは成長しこうして食べていくことができた。音楽を聞いてくれている人たちに元気を届けたいと思いながら過ごしていたけれど、逆に俺たちが勇気や希望をもらえたりしてありがたい存在だった。そのファンたちを怒らせてしまう結果になるかもしれない。それでも俺は自分の人生を愛する人と過ごしていきたいと考えた。俺達COLORは、変わる時なのかもしれない……。